常識

今回は「常識」について考えてみました。

というのは、以前、こんな光景を見たからです。

その日は平日でした。浅草駅から欧米系の旅行者家族が電車に乗り込んできました。おひげを生やした体の大きいお父さん。スラっとしたお母さん。そのDNAをたっぷり受け継いだ好青年の息子と美しい娘さん。

電車がすいていたので、四人は大きな体を小さくして座わりました。お父さんは、大きなカバンを抱えるように座っています。

立派だなと思って見ていると、電車が混んできました。やや年配のおばさんが乗り込んできました。初老という感じです。

この息子と娘は、バネ仕掛けのおもちゃのように立ち上がりました。初老のおばさんに気を使ってです。もちろん、お父さんもお母さんも立ち上がります。

当たり前の行動かもしれません。でも、ぼくは立派だなと思いました。家族全員が、チームプレイのように自然体で行動できるのは素晴らしいことです。

「常識」を英語に置き換えると「common sense」になります。「共通感覚」とでもいえばよいでしょうか。

電車に乗るたびに、この「共通感覚」は機能しているのかなと思います。

世界中の人が「共通感覚」を鋭敏にすれば、世界は平和になることができるのだろうか、とふと感じた今日です。