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東日本大震災支援

東日本大震災支援

2011年3月11日、東北地方と東日本全域の沿岸を襲った大規模地震と津波。

死者・行方不明者は2万近くという戦後最大の被害となりました。

未だに続く復興問題、原発被害。現在でも17万人以上が避難を続けているという、私たち日本国民にとって、忘れることができない悲しい事態となりました。

当社では、震災直後から関係僧侶と共に定期的に被災地を訪れ、そして現在もできる限りの活動を続けております。

震災直後は、宮城県多賀城市へ物資を届けました。

全ての建物が崩壊した地域、ヘドロのような臭い、事態を把握することもできず唖然としている人々。

この時、直後の状態を実際に見て、感じて、現地の人々と触れ合ったことが活動を継続する決意となりました。

その後は、宮城県石巻市の仮設住宅で傾聴活動を行う「カフェ・デ・モンク」に継続して参加。

この活動は、現地の僧侶さん達が主催している活動でした。

主に高齢者の方々とお話をする内容でしたが、被災者さん達の気持ち、悩み、そして本当に必要なもの。

こうした生の声を聴ける機会となりました。この活動は最後まで2年間続けました。

そして現在は、石巻市のファミリーホームに訪問しています。

ここは、震災を機に保護者がいなくなった、または家庭で生活することが困難になった子ども達が、一つの家族のように一緒に暮らしている、笑顔がいっぱいのとても温かい家です。

私たちは、ここの子ども達とレクリエーションを楽しんだり、農作業を一緒にやったり、とても楽しい時間を過ごしています。

そして関係者の皆さまから頂くお中元やお歳暮の一部も、こちらにお届けさせて頂いておりますこと、ご報告と御礼を申し上げます。

活動に参加したい方は是非ご連絡ください。よろしくお願いします。

平成27年7月

石巻市の少年野球チームの男の子10数名と“りあすの森”に行ってきました。

ここは、自然の中で地域の人が触合うことを目的として、震災後に設立された、山奥にある施設です。

先ずはバーベキュー。子ども達も一緒に料理を作りましたが、普段からお手伝いしているのか、皆なかなか上手です。

いっぱい食べて、馬とも遊んで大盛り上がりでした。野球少年は、元気でたくましくて、将来が楽しみです。

JA仙台

平成26年10月

ファミリーホームがある地域で行う“芋煮会”に参加してきました。

これは主に東北で行う、地域の人たちが集まって外で鍋料理などを一緒に食べる季節行事。

こうした行事があることによって、子ども達も家でゲームばかりでなく、外で友達と遊ぶ時間の楽しさをよく知っているのでしょう。

おいしい鍋を食べて、縄跳びやボール、芋掘りもして存分に遊んできました。

大人に人見知りする子が殆どいないもの、地域コミュニティのお蔭かと感じました。

平成26年8月

ファミリーホームの子ども達と植えた野菜の収穫に行ってきました。

大きいナスとかわいいトマトが獲れました。自分たちで作った野菜は格別の美味しさです。

その後は、子ども達とバドミントン大会。みんな運動神経がいいので勝てませんね。

子ども達が元気で明るいのは何より嬉しいです。

おいしい郷土料理もごちそうになり、楽しい時間を過ごすことができました。

平成26年5月

宮城県石巻市のファミリーホームに行ってきました。

ここでは震災後に親と暮らせなくなった子が、ホームのスタッフさんの愛情をいっぱい受けて過ごしています。

この日は、みんなで畑仕事。初めての作業でしたが、スタッフさんや子ども達に教えてもらいながらトマトやナスを植えてきました。

太陽を浴びながら土をいじるのは本当に気持ちいいです。

子ども達にとってもとてもいい教育でしょう。収穫が楽しみです。

平成25年10月

被災地や仮設住宅には、日本中から多くの人が訪れます。

そして物資を持ってきたり、その時は何でも手伝ってもくれるでしょう。

しかし中には、物をもらったり、やってもらって当たり前と思ってしまう人も増えてきたのです。

私たちは、少しでも自立してもらいたい思いで、できることは自分たちでやってもらうという方針に変えました。

一人でも多くの方がこうした仮設住宅から出ることができ、自立した新しい生活を送れるようになることを願うばかりです。

平成25年4月

仮設住宅の集会場は、多くの方で賑わってきましたが、実際には、そこにすら入ることができない人もたくさんいます。

震災のショック、先の見えない不安、そして新しい環境での生活。その結果、家から殆ど出れなくなってしまったり、精神的な病気になってしまった方もたくさんいるのです。

この日は、こうした家から出れない人にもケーキを食べて頂きたいとこちらから訪問してみました。

本当に辛い環境ですが、少しでも外に出て人と話ができて、少しでも気持ちが前向きになってくれたら幸いです。

平成24年9月

仮設住宅の近くに立派な慰霊碑が完成しました。

この地域で亡くなられた方々の名が刻まれてます。

震災から1年が過ぎ、未だに2,500人もの行方不明の方々がいます。

ご家族としては“どこかで生きている”と信じたいところでしょう。

しかしとても辛い決断でしょうが“亡くなった”とけじめを付けてお位牌をつくる方も増えてきました。

ご遺体もご遺骨もないのに、お葬式をあげなければならない辛さは計り知れないものがあります。

平成24年2月

年が変わって「カフェ・デ・モンク」に参加してきました。

そろそろ震災から1年となります。仮設住宅の若い人たちの多くが仕事に出ていますが、ご高齢の方々は出る場所がありません。

時間を持て余してしまうのもとても辛いものです。

最近では、折り紙や絵だったり、アクセサリーを作ったり。 得意なことがある人が先生となって、いろいろな教室を開いてくれてます。

お坊さんが教える数珠作りも大人気でした。

平成23年11月

今回も「カフェ・デ・モンク」での活動です。

寒さが厳しくなってきました。東北ですから尚更心配です。

今まで全く知らなかった人と人が同じ仮設住宅に暮らすことになり、それぞれの役割やルールも決まりつつあります。

しかしそれは、新しいストレスや悩みを生むことになります。

人同士の合う合わない、気疲れなど、お話し頂く内容も変わってきました。

この日は、位牌や埋葬の相談も受けることができました。お寺そのものが無くなってしまった方は深刻な問題を抱えています。

平成23年9月

仮設住宅での傾聴活動「カフェ・デ・モンク」に初めて参加しました。

傾聴と言っても、何を聞いていいのか、どんな話をしていいのかも分からず、ためらいながらの参加でした。

しかしこの時感じたのは、とにかく震災の瞬間の様子を、ただただ聞いて差し上げることが重要だということでした。

仮設住宅にいた高齢の方々は、とにかく誰かに話したい、どんなに怖かったか、どんなに驚いたかをずっと話してくれました。

平成23年5月

見渡す限りの建物が崩壊、今まで嗅いだことのない異臭も漂っていました。

ここが日本なのかと絶句しました。

多賀城市役所へ物資を届け、利府町の遺体安置所で読経。

近隣の公民館へ避難している人々と話すことができました。

役所の職員も同じ被害者でありながらも、地域の人々のために、一生懸命に職務を行っていました。

本来立ち入ることができない遺体安置所は、警備をしていた警察官のご配慮で、中でお経を唱えることができました。

避難している公民館では、各家庭は、ダンボールだけで区切られた生活に。

子ども達は、精一杯の笑顔を見せてくれました。